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青い鳥 ブログ 

のーぷらんブログです  

自分の感じていることこそが真実

世間がどうのでなくて、常識がどうのでなくて。

心理的なパターンがどうのでもなくって。

今、自分が感じている感情、きもち、それこそが真実。

 

今、自分が不愉快でむかつくのなら、それが真実。

理屈にあわなくても、自分のわがままにみえることであっても。

自分が今、怒り、哀しみ、不愉快であれば、それが真実。

 

人間が小さいとか、みっともないとか、恥ずかしいとか、本当にそんなのはどうでもいいこと。

 

自分が今怒り狂っているんなら、それが真実。

夜叉のように怒る自分が、それが自分にとって正しいこと。

 

「大人としてどうかと思う」

「我慢強くあれねば」

「こんなささいなことで怒る自分は反省すべき」

 

そんな考えはだれの考え?

 

自分は今なにを感じているの?

 

怒り・哀しみ。

 

ならば、それが、私の大切な大切な感情だよ!

 

とにかく今、怒り狂っているのが自分。哀しくてしかたがないのは自分。

 

その感情に浸る必要があるから、私は、怒り狂い、哀しみにあけくれているわけだよ。

 

 

 

自分に必要のない感情はおこりはしない。

 

その感情を否定したり、無視したり、無下にしたり。

 

一方的に、自分が自分でその世間の常識的と思っている考えを押し付けて、

 

その大事な大事な自分の沸き起こる感情を否定し、無視し、無下にして。

 

一体、だれから、自分は大切にされようと思っているの?

 

 

 

 

自分から沸き起こる感情こそが自分。

 

みっともないとか、恥ずかしいとか、そういう風に押さえつけてるのはだれ?

 

 

自分の沸き起こる怒り、不安、哀しみこそが、自分。

 

 

大事な大事な、自分。

大事な大事な、わたし。

 

自分の沸き起こる感情こそ、丁寧に丁寧に向き合って。

丁寧に丁寧に、それこそ細かく細かく、うけとめてあげる。

ひとつひとつ丁寧に拾ってあげて、

何にも否定も非難もせずに、そう思ったんだね、とそのまま受け止める。

 

それが真実で、

それが一番正しいことで、

それが一番得なこと。

 

それが、一番一番、私が生活の中心になって考えてあげるべきこと。

 

私の感情が一番大事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に思考が先で、思考の先に現実があるのなら

私は私の力で、3億円くらい軽く稼げる人になりたい。

(3億円くらいが私が思い浮かぶ精一杯の金額のため、言ってみた)

 

自分の力で、軽く自分が安心できる大金を稼ぐことができるって、どんだけ自分を解放できることだろう。

 

自分の好きな環境で、自分の好きなところに住んで、自分の好きなインテリアに囲まれて生活する。

自分の好きな音楽をかけて、自分の好きな食べ物食べて、自分の好きなお酒を飲んで。

心地よい自分好みの香りアロマを焚いて。

自分の好きな映画をみる。

 

自分の好きなスポーツして、ときどき気持ちよく体動かして。

読書三昧。

 

自分の好きな仕事をして、自分の好きな考えごとをする。

解決とか発見とか、別視点から見れるとか、アハ体験、目からうろこ体験が大好き。

新しいことが好き。

思考が広がるようなことが好き。

ゲームが好き。

 

自分の好きな車にのって、自分の好きなところへ行く。

 

自由に。

気ままに。

軽く。

 

誰にも気兼ねをしないで、自由に、自分の好きなものに囲まれて生きる。

 

たまに、

自分のそのとき、好きな友人に囲まれて、

自分の過ごしやすい時間を過ごす。

 

私が生きたい生き方はこれだ。

 

そして、その生き方をはじめるのは、

 

いま。

 

私は今。

 

今。

 

その生き方をする。

 

 

私は今。

 

 

今、自分が自由で安心する時間を過ごす。

 

 

今、解放された、ときを過ごす。

 

 

私は、今、すべて自分の好きなものに囲まれて。

 

自分は莫大な富を持っていると絶対的な信頼をおいて。

 

発見と解決の楽しさに魅入られながら。

 

今。

 

 

私は自分を生きている。

私はどうしたい?

私はどうしたい?

私はどうしたい?

私は今どうしたい?

 

私は、安心がほしい。安定した収入とお金がほしい。

安定した収入、自分の自己実現のできる仕事、老後のための貯金。

自分好みの車(衝撃ブレーキ&バックビューカメラあり)

自分好みのマンション(駅近、便利、環境よし)

 

自分の好きな仕事で安定した収入がもたらされたら、ものすごく幸せ。

自分の世界が広がって、自分の自由が確保できる。

老後のための貯金は私に必要な安心。

 

 

私が欲しいのは、自由と安心。

 

 

まずは私のこころを自由にしてあげて、私のこころを安心させてあげよう。

 

私のこころの不自由さと、私のこころの不安をしっかり受け止めよう。

 

私は今何に不自由さを感じている?

私は今何に不安を感じている?

 

会社内での不自由さ、家庭内での不自由さ。押し付け。義務感。

不安なのは将来。自分は将来どうなるのか。健康も不安。ずっと働けるのか。

 

私が望んでいるのは、お金をもった男ではない。

私が望んでいるのは、自分自身で稼ぐ力とその自分への信頼。

 

 

私自身が、自己実現しながら、お金を稼いで、自分を自由に幸せにしてあげることだ。

 

今、私自身が自分へその一歩をすすめるためにできることは・・。

 

 

今、自分を解放してあげること。

 

 

私は、その力があるって信じてみよう。

 

 

私は今は会社辞めない。

でも、「今は辞めない」だけであって、「辞めること」は決めている。

「この会社を辞める」ときは【卒業】であって、私の仕事人生は劇的にいい方向へ変わると思う。

この会社で学んだことは、「我慢することが一番よくない」「耐えることは美徳ではない」「不満は溜めこんではいけない。吐き出すこと」「自分が理不尽に感じていることは、自分が感じていることなのだから、自分がきちんと受け止めてあげること。正しいも間違っているもない。自分が理不尽さを感じているそれが事実であり、真実。またそれについて、何かを変えることも、だれかをかえることもできない。ただ。ただ。私がその理不尽さを自分でしっかり受け止めてあげる。それだけで、自分は満足。それを人に受け止めてもらおうとするから、またおかしくなる。私が自分で感じていることをしっかり受け止める。それが、自分に強さになる。」

 

我慢はしない。不満は溜めこまない。自分の怒りは大切にする。

 

自分で感じている理不尽さ、それが真実。

真実は自分で受け止める。しっかり、受け止める。

 

 

 

私は、自由と安心が望み。

 

 

 

 

 

 

自分の弱みをさらけ出す

自己信頼。

自信ってつけていくものでなくて、もともと本当はあったのに、すこしずつ、失ってきたものかもしれないと思うようになった。

 

私はこうならなければ。ああならなければ。

そういう努力をするたびに、何か自信がなくなってきていて、

なにか自分がはりぼてになっていく気がしていた。

 

腑に落ちて、すーーと理解したこととは、まるで異なる。

 

自分が隠しておきたかった恥、弱さ。悪癖。

 

これらをさらけ出しても、だれかから馬鹿にされて見下されても、

もしもゆるぎない自己信頼があったら・・・・。

私は。

本当の意味で、なりたかった本当の強さを身に着けることができるのかもしれない・・。

 

 

私が隠しておきたかったこと。

実は本当に周りが気になっていたこと。

誘われなかったり、声をかけられなかったり、存在を無視されたり。

ものすごく辛くていやだった。

だから自分から殻をつくって、自分が周りを受け入れていないのだと、勝手に恰好つけてた。

痛いと思われるだろうけど・・・それが、プライドみたいなものだった。

エラがはった顔が嫌いだった。

だから、わざとエラを隠す髪型にしかしなかった。

脚が太くて、昔教授に馬鹿にされたことが忘れられない。お前の脚は害だと言われた。

ブスだから、でも小学校ではおちゃらけてて人気があったから、勘違いして。

高学年になるとみんな少しずつ変わってきていて、おふざけの女の子と、可愛い女の子は完全に別扱いにされていたのに・・。それにまったく気づかず、可愛い女の子と一緒に一緒にクリスマス会にいったら、ブスのお前には用はない、帰れと言われた。

ブスでデブのお前は臭いと言われた。(決して臭くなかった)

筆箱に虫の死骸を入れられた。

びっくりして、授業中声をだした。きゃあって。

そうしたら、先生がうるさいとなぐった。

頭にきて、あの子が私の筆箱に死骸をいれたと文句を言ったら、先生が、「おまえにはふさわしい。」と笑った。

後、馬鹿な男子が、可愛い女の子の筆箱と私の筆箱を間違えて、また虫の死骸を入れた。可愛い女の子が、同じように授業中、さけんだ。そうしたら、先生やみんなが同情し、入れた男子はまっさきに謝った。

数時間後、まったく同じできごとが起こって、先生から、クラスの子から、まったく正反対の反応だったのだ。

私は、「自分がブスで、自分が悪いからだ」としか思えなかった。

その後、私は、虫の死骸をみても、黙って素手でつかんで、静かにゴミ箱に捨てるようになった。

ゴキブリでも。

それをみたクラスの子たちは、強い女、冷徹な女とまたひやかした。

 

小学校の5年生ごろから、中学、高校、浪人、大学は黒歴史でしかない。

(大学はそれでもまだマシな方だった)

高校が最高に黒歴史。ブス、ブス、ブスでもう自尊心もなにもかもずたずただった。

中学はそれでも部活が救いなところがあった。また、勉強ができたので、私自身もヤンキーたちを少し侮蔑していた。

高校は本当に最高の黒歴史。見下され感もハンパなくひどかった。また、私も、クラスの上位カーストにひざまずき、文句も言わず、卑屈に言うことを聞いていた。

上位カーストの子と卑屈に友達になり(利用されていた関係に過ぎない)でも所属グループは最下位なので、最下位内で、いわゆる底辺争いもしていた。ショウもないことで、底辺内で出し抜きしたり、ときどき、上位層の子の命令を聞いて、同じグループの最下位の女の子をスケープゴートに差出したりした。(私も当然、何度も差し出された)

だから、中学、高校には、友達はいない。

すっかり全員、連絡は切った。

会おうとも思わない。なつかしさもない。

地元で好き勝手なうわさを立てられたりもしたらしいが、そんなのは知らない。

この歳になって、同じ年代の人たちと語り合いたいとは思うが、

決して、中学、高校の人間に会いたい、話したい、語り合いたいとは思わない。

心が狭量と言われても、言いたいなら、どうぞ、としか。

イジメに常時あって、見下され馬鹿にされを常時行われていて、人間としての尊厳などまったくない扱いを受けたひとしかわからない気持ちだ。

その経験があるから、今の私があるなんて言えるのは、そこまでの経験をしていないひとの言だ。

二度と経験なんかしたくない。

 

歳をとってきたからか、

「人生をやり直すとしたら、何歳がいい?」

なんて、質問がくることがあるが、私はそれに対しては、別に人生やり直ししたくない、とだけ。

同じ目になんかあいたくないから、ね。

 

私は、可愛い、愛され人生を送る女の子になってみたかった。

それで、大学デビューした。

でも、つかの間の大学デビュー。

みにくいあひるの子は、あれはもともと白鳥だったから、美しくなっただけで。

私は、醜くうまれたただのあひるの子。

お面をかぶるのに必死になった。

ダイエットも必死でして、拒食、過食も繰り返すようになった。

20代の前半は過食症で苦しんだ。学校に行けなくなり、中退した。

それをごまかすように、結婚。

子供を産むまでの20代前半、毎日、旦那が会社に行っている間、食べて食べて吐きまくった。大学で貯金していたお金が底をつきはじめると、飲食店でバイトして、残り物をたくさんもらって、家に持って帰り、食べて吐いた。

旦那は、お嬢の私のバック(実家のお金とある程度の社会的位置)が気に入って結婚しただけというのが、今ならよくわかるのだけどw

こんなに毎日食べて吐いて、がりがりにやせて、なーーんにも、気にしていなかった。

きちんと夕食が5品以上用意されていて、お風呂がわいていて、家がきれいに片付いていて、夜自分好みの営みさえ奉仕すればよかったのだ。

(よくよく考えたら、それについても、公言するほどひどい人間だった)

それでも、私は、このひとくらいしか、私と結婚してくれる人はこの世には存在しないし、このひとは私を救ってくれたと思っていた。まさに、信者のように。

だから、本当にひどい扱いだった・・。

給料も渡してくれない。毎月、お願いをしないとくれなかった。

子供が2人できても、家の光熱費から旦那の奨学金の支払い、車のローン、生活費すべてコミコミで8万円しかくれなかった。おむつ代を稼ぐために、土日バイトを2件、平日は朝4時から3時間バイト1件で、計3件、トリプル掛け持ちをしながら、年子の男子2人を育てた・・。当然、育児の手伝いはしてくれなかったので、土日も夜中と早朝中心。

 

長男が3歳なるころ、年子の男の子の動きにあわせて完全に生活するようになったためか、過食症はおさまっていった。

さすがに、公園デビューになり、物理的に過食症の時間がとれなくなってきたということもある。

・・けれど・・。今思うと、本当に・・寝ないで、かつ食べ吐きで栄養もとらないで、よくこんな生活してきたな、と思う・・。

 

公園デビューから幼稚園、小学校前半は、今度は、ママカーストに悩まされることになった。

カースト自体は、スクールカーストと本質的な違いはあまりなかった。

ママカーストは、旦那の収入&旦那がイクメンかなども関連してくることになる。

救いは、逃げ場があったこと。

私は年子の男児2人のため、一人っ子のようにわざわざ、他のだれかと遊ばなくても、自分のうちの兄弟だけで遊ぶので、あまり気を使う必要がなかったのだ。

あと、ときどきやっていたバイト。

でも、バイトの中でもカーストはあり、私はどこに行っても、カースト最下位のままなので、このバイトでも自分の卑屈さがいやしいほどダダ漏れで。

年下の大学生にいいように扱われてたよ。

まだ20代後半で若かったのに、BBA、BBAと言われ(同じ歳のバイトの人達はたくさんいたのに、他のひとはそんな言われ方しなかったなあ)無駄にコンプレックスをもってしまったよ。私はそんなにばばあ顔なのか、と。

また、源典侍(げんのないしのすけ)という女房に似てると言われ、何のことか調べたら、光源氏にでてくる好色の60歳のおばあさんの話で。

びっくりしたよ。私その時、まだ30歳にもなっていない頃で。しかも、なんで好色??

どちらかのバイトの方とうわさになったことも、まったくないのに。

チーーーーーーン、となったなあ。

ババア、ババアと最下位に置く割には、動物的には性的対象になりうる、けれど、性的対象になりうることをまともには喜んでんじゃねーよと、それはババアの好色につきあっているだけだからだよーーーという内なる声がしたようでね。

本当に、チーーーンって感じだったなあ。

そのとき、昔、ヤンキー男子が、「お前の顔をタオルでまいてなら、やってやる」、とわざわざ人を傷つけるためにだけに用意されたようなセリフを吐かれたことがあったけど(ちなみに、数人でいるとき言われたので、傷つき方は若干薄まってはいるw)それを思い出したよ。

このヤンキーは本当にあほだったから何とも思わなかったけど。

このとき言われた大学生には、いろいろな相談も受けていたし、自分も割と心を開いていたと思っていたので、本当に傷ついたなあ・・。

 

 

本当に、人間関係でいい思い出がないなあ、と今更ながら、笑ってしまった。

 

なぜ、今こんなことをブログでさらしているのかと言うと。

 

 

今書いていることは、本当に今まで隠しておいたことだから。

 

 

わかるひとはわかっていて、イタイ女だなと思われていたのかもしれないけれど・・。

 

私個人としては、こんな経験は隠しおおせていて、私は普通に楽しい人間関係も過ごしていて、友人のいる、リア充までとは言わなくても、何かツウの友達がたくさんいるし、人間関係が幅広いんだ、と、だから今の人間関係に疑問をもっているんだと(いや、本当はいつものパターンなんだけどね)

なんか、そんな見栄みたいなの、張っていて。

そんな空想な前提をつくった自分を演じていて。(本当にイタイんだけど)

 

 

 

 

なんだか、そういう虚勢張ってんの、本当にバカバカしくなってしまって。

 

 

今の人間関係にシャッター下すのはいいとして。

そのシャッターを虚勢で塗り固めても(結局は自分の中でね)仕方ないんじゃないかって。

 

私、本当に、人間関係でいい思いしていないんだから。

 

 

私、本当に、リア充系友達はいないから。

 

 

私、今まで相談してきたのって、本しかないですから。

 

 

自分にうそついて虚勢はっても、しょーがないよね(笑)

 

 

なーーんで、いままで、必死こいて、誰をだまそうとしてたんだろ(笑)

 

 

 

もう。叫んじゃう。

 

私はいままで、人間関係でいい思いしたことないよーーーー。

友達なんか、いないよーーーーーーー。

いわゆるひとと一緒にいて、楽しいとか、ゆったりとか、穏やかな思いなんかしたことないよーーーーーー。

(全然じゃないかな、言い切ってしまうには、ちょっと・・だけど)

 

 

つまり、私はコミュ障だよーーーーーー。

 

 

 

でも、人間関係にいい思いあまりしてきてないんだから、しょーがないわな。

 

 

私は、人付き合いは、ダメだから。

私は、付き合いべただから。

私は、人付き合いには期待しないよーーーーーー。

 

私はそういう感じだったから、だからひとりが好き。

 

だから、社会へ。私に勝手に、寂しさとか押し付けないでね。

寂しさとかを超えるような、人付き合いがしたい~~~って経験がないから、

そんなのわからんわ。

 

カーストの上位を支えるために、カースト最下位者が必要、つまり私のような付き合いべたが必要なんでしょうけど。

だから、「ひとりは寂しい」「ひとりはむなしい」「グループ外れたらつらい」とかそんなことを常識として植え付けようとするんだろうけど。

 

それ、いらんわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を生きる

社会という大枠の集団、会社組織、家族、スクール、それぞれの集団。

その中で、どこにいようが、「自分」を生きる。

 

その集団を非難しても、文句を言ってもいい。

そう自分が感じるのなら、言ってもいい。

どの集団に属しても、どの位置に立っていても、安心は得られない。

安心は、自分の望みに、着実に答えていくことだけ。

 

 

私はどんな風に生きたい?

⇒自分を表現して生きていきたい。

 

私はどうすれば、自分を表現して生きていけると思う?

⇒私に聴いて、私が選択をする。それをまた、あえて自覚する。

最初は自分が選択することに実感がわかないと思うので、あえて自覚することも丁寧にする。

 

私は今どうすればいい?

⇒今、選択すればいい。

 

何を選択すればいい?

⇒今、自分を生きること。

そして、最初はそれをあえて自覚する。

自分を生きるといちいち言う。なにかに残す。

それを丁寧に、自分に語りかける。

 

私は、自分を生きる。自分を感じる。こうしている今、自分と話をしていて、自分を選択している。

PCを打っている、一文字、一文字、今、私は自分と話をして、自分を選択して、自分を生きている。

自分を表現している。

 

私はどう生きたい?

⇒ブレない自分で生きていきたい。

ひとつひとつ、自分に感情、自分の気持ちに正直に。自分に対して誠実に。

自分にはうそはつけないから。

自分に丁寧に丁寧に。自分のことを考えていきたい。

 

自分を表現していて、あらゆることから解放されている自分。

あらゆる発想が展開できる自分。

いろんな視点がもてるようになった自分。

 

自分のやりたいことがわかった自分。

やりたいことに進んでいく自分。

 

自分の好きなことを自然に選べている自分。

新しい発見ができる自分。

 

私のやりたいこと、好きなことを、毎日毎日選んでいけば。

丁寧に丁寧に、自分に語り続けていれば。

私は気が付いたら、自分のやりたいことで充たされる。

 

 

 

五十にして天命を知る

まだまだ、不惑の40代ではあるけれど。

50代は天命を知ることができるのか~~と思った。

 

天が自分自身に与えた使命を悟ったと、50代で。

 

不惑の40代で、やっとの思いで、自分自身で生きたい!と心から思うようになった。

社内カーストやらなんやら、あちこちにあるカースト、世間、社会、常識、いろいろなものに惑わされることなく、自分自身で自分を選択して、生きたい!と本心から願うようになった。

 

50代になるとようやく自分自身に戻ってきた自分が、生まれたときから与えられた使命を思い出せるということなのか・・。

50代がなんだか楽しみになってきた。

60代70代はまだまだ未知の世界なので、思いが及ばないので、あまり言及したくないですが、60耳順 70従心。奥が深い。

 

ようやく自分自身が生きれるようになってきたのだから。

自分自身を表現して生きれるようになってきたのだから。

私の人生って、本当にここからなんだから。

世間の則に従ってきて、自分ではないような気分で生きてきて、やっと自分自身で歩きはじめた感覚になったのだから。

(30代はやっと自分自身で立てたという感覚だけ)

 

私は生きる。

生き残って、自分を表現する。

 

そして、50代になって、やっと自分が生まれてきた意味を知ることができる。

絶対に知りたい。

必ず、私は生きる。

 

 

嫌なことがあったら

嫌なことがあったら。

不愉快なことがあったら。

 

それは本当にいやなことなんだと思う。

本当に、理不尽な目にあったんだと思う。

 

だから、まずは、私の気持ちをうけとめる。

誰が?え?私に決まっているw

精一杯、その不愉快さの気持ち悪さ、怒り、哀しさ、すべてをうけとめる。

私に悪いことは、ひとつもない。

私にそれについて直すことは、ひとつもない。

私はそれについて、何も反応することはない。

でも反応せざる得なかったその感情は、私はすべて受け止める。

私の感情なのだから。私が私として生きるために、私の感情そのものが私の「生」だから。

 

それから。

その嫌なことは、「前兆」であることを知ろう。

 

恋愛についての嫌なことであれば、「本物の出会い」のある「前兆」

仕事についての嫌なことであれば、「仕事のチャンス」のある「前兆」

利用されるとか心理的不愉快さを受けたならば、「新しい発見」のある「前兆」

お金にまつわる嫌なことであれば、それこそ「ビジネスチャンス」又は「お金の入ってくる前兆」

 

その嫌なことは、

結局、私は何を望んでいるのか?

それを明確にさせるための、ツールに過ぎないことを知ろう。

 

私は何を望んでいるの?

 

嫌なことがあったら、こう聞かれていると知ろう。