読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

青い鳥 ブログ 

のーぷらんブログです  

2017年今年の目標

「自分を大切にする」

・自分の感情を大切にする

・自分の感覚を大切にする

・自分のこころの声をきく

 

自分のこころ、自分にフォーカスする

ひとつひとつ細かく細かく自分の声をきく

 

今PCを打っている自分にも。

これは誰かの話を聞いて感化されているだけなのか、自分もこころからそう感じるから打っているのか。

 

行動について。いろいろスケジュールを入れているけど。

それは不安を埋めるためのものか。

それとも、自分が好きでやっているのか

 

やらなくてはいけないと思っているもの。

それは本当にやらなくてはいけないものなのか。

どうしても自分に我慢をさせなくてはいけないものなのか。

 

仕事はどうしてもという場面があるけれど。

その中でも精一杯自分でできる限り、自分が楽しめるように、自分をごまかすことなく自分とつきあえているか。

自分を感じてあげているか。

 

一瞬一瞬の場面で、それをする。

 

今年の目標

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれてきた理由(1)

こころ

生まれてきた理由

自分の価値を承認してもらうため?

だれに承認?世間?後世の人?子供?

 

自分の価値を高めるため?

経験によったり何かによったりして自分の価値が上がる???から??

 

自分の価値は何かで勝ち取るもの?

 

 

 

・・・・そもそも、自分の価値ってつかむもの??なのか??

 

 

 

 

いや、もともと【ある】もの。

 

 

 

【ある】のに【ある】と感じることができないから、

 

なんとかして【ある】と感じたいと動いているわけで・・・・。

 

 

だから、勉強を頑張って学歴をつけてみたり、資格を取ったり、

社会に出て肩書をつけたり、

 

肩書のあるひと、知名人、話題のひとなどを知っているとうそぶいてみたり。

 

ものすごい美人、モデル並みのかっこいいメンズ、など仲良くしてみたり。

 

ブランドのものを買ったり。

 

結婚したり、子供をつくったり。

 

友人をつくったり。

 

 

 

 

価値を感じるために、自分の価値を感じるために、

世間でいいと言われることをやってみたり。

 

本を読んだり。

 

 

 

本当の自分を探してみたり。

 

 

自分を探すってなんだろう(笑

 

今、考えているのが自分なのに(笑

 

 

 

自分に価値がある。

 

 

 

それが真実。

 

 

 

これを、とりあえず、字面をおうだけでいいので、この真実を考えてみよう。

 

 

 

自分には価値がある。

 

 

 

でも、なんで無価値と思ってしまっているんだろう。

 

 

 

生まれてきた理由と何か関係あるのかな。

こじらせ女子

アナ雪見ました。

なんて、おもしろいんだろう、と。

 

みる人によって違う意見の多くでる映画と思うけど。

 

私は エルサが氷の城で「わたしは自由!!!」「ありのままで」

というシーン感動したし、大好きだし。

アナの一途なダメンズぶり、愛情欠乏症的、自分を愛してくれる人に尽くしてしまう愛すべきキャラも、大好き。

 

 

本当の愛のキスで助かる、そんな話で

王子のところに向かうアナだが、王子がワルと判明。

では助けてくれた山男のキスで治ると思いきや、結局、姉のエルサの力で命をとりもどすアナ。

ディズニーなら、絶対王子のキスだろーーーーと思っていたので、

めっちゃ心地いい裏切られ方で、すごく爽快だった。

 

エルサは品が良くて美しくて女王、

そんな姉に事情があったとはいえ、拒否され続けてきたアナ。

お姉ちゃんも妹もそれぞれの事情と受け取り方で、こじらせちゃって。

でも、こじらせちゃったからそれがなに?直すこと?みたく、

まんまエンドになったのが、すごくよかった。

お姉ちゃんは魔法の力のコントロールを覚え(魔法の力を消す方向じゃなくて)

妹は妹で山男にめっちゃいいそりを弁償して、いや、そんないいそりじゃなくていいでしょ、なんだかんだ尽くし過ぎでしょ、ダメンズ素養のままじゃんっ、みたいな(笑

 

変わらないでいい。

 

そのままで、共存というか、私はこういう人ですっていうのを、みんなにわかってもらって、そのままでなんとかなる、なんとか受け入れてもらえる。

世の中結構あまいんじゃんwみたいな。

 

そういう話をみたら、なんだか自分の気持ちが軽くなる。

 

私も愛情欠乏症のこのまんまで、やっていこう。

自分を直したり変えたりする努力よりも、

周りにわかってもらって、なんとか、周りとの一番居心地のいい距離感をつかみながら、一番居心地のよい位置にいて、過ごす努力をしよう。

 

そんな考えが好きで、ホッとする。

 

こんな考えをさせてくれた映画に感謝。

 

気持ちがいい時間を過ごすって、こんな感じかな。

 

 

1日のうち、かならず、こんな時間を過ごそう。意識的に。

習慣にしよう。意識的に。

そういう努力はしよう。

自分のために。

 

自分の送りたい人生

自分のこれまでの生きてきた経験。

どんな理不尽な経験も、どんなささいな思い出も。

全部、自分で受け止めて。

私がどういう感情表現をしようとも、

全部自分で受け止めることができて。

自分の経験をすべて、あーーー自分だ、って、体すべてで流れるように受け止めて。

 

それが、正しい悪いとか、善悪とか、損得とか、なにも関係なく。

誰かの目で、いいねーーとか、悪いねーーーとか、そういうのでなく。

 

 

私の人生の経験そのものが、私の送りたい人生そのもの

 

 

それが、知識とか頭で考えて思うものでなく、

私がそれを体でそのまま感じることができる人生

 

そういう人生を送りたい

 

 

 

今を自分の人生の今を、感じて。

 

ああ、私は生きているーーーーって。

 

 

私は生きているって、感じる、それが、私のいい気分。

 

 

 

表現が難しいけど。

「わたし、おもてなし」プロジェクト

私は、これから、私をおもてなし、する。

 

私が気分のいいように、過ごさせてあげる。

 

嫌な気分や嫌な出来事があったら、聞いていあげる。

ほっとさせてあげる。

 

楽しいこと、わくわくするようなことも、考えてあげる。

 

毎日の日常は、とにかく、穏やかに過ごせるように、工夫してあげる。

 

私が不安なときは、話をきいてあげる。

私に安心をあげる。

 

私がどうしてほしいのか、きいてあげる。

 

私が何を実現したいのか、きいてあげる。

 

この世の中で、この世界で、どう生きていきたいのか、聞いてあげる。

 

 

 

 

私はこの生をどう表現したいのかーーーー

 

私の思い浮かぶイメージは、多分、今私だけのオリジナル。

 

 

自分に素直が一番!

フォーカスするのが、今目の前に起こっていることでなく、

自分のこころ。

自分の感情。

自分の気分。

 

無理にいい気分になろうとしても、よけいややこしくなるだけ。

今、不愉快な気分であれば、それをフォーカスする。

 

今の事象ばかりに目を向けない。

今の事象を紐解こうとばかりしない。

今の事象、悩みに目が向いて、考えちゃって、なんとかしようと試行錯誤はしてしまうけど。

そればかりに集中しない。

あ、このことばかりかんがえてる、と気が付くようにする。

で、その事象でなく、その事象を考える自分の気分にフォーカスする。

 

超不愉快。

その気分にフォーカスする。

 

 

 

ある女がまた、私を貶めようと、ばかな噂を流して、自分は私の犠牲になった。

私のヒステリーに当られた、と言いまわっているということを言った。

ヒステリーに当てられたって・・。

仕事上のミスを注意しただけで?なんの恨みがあって、そんなことを?

その仕事のフォローをしてあげたのに?は?ふざけるなよ!

 

私はめちゃめちゃ不愉快になっている、それを聞いて。

 

事象を考えてしまうのはしかたがない。

けれど、そのことばかり、怒りをかかえて、時間をつぶしてしまうのは、自分がかわいそう。

ああいう人に何か復讐したり、攻撃を新たに加えても仕方ない。

 

自分の気持ち、気分にフォーカスする。

 

不愉快。

自分はどうしたい。

⇒ああゆう人には関わりたくない。

それは対策としては有効。で、自分はどうしたい。

⇒信頼できる人とかかわっていきたい。

信頼できる人とたくさん関わっていきたい。

ああゆう人が入ってこれない友人関係をつくりたい。

信頼できる友人をつくって、愚痴をいって終わりにする信頼できる仲間との時間を過ごしたい。

自分がもやもやしているのは?

⇒自分にも悪いところがあったんではないかと思ってしまうゆらぐところ

悪いところ?そこがつけこまれるんでは?自己肯定感の低さ、敏感に感じ取るひとたくさんいるよ?

 

ああいう目にあって、自分が悪くない、とは思うものの、

・周りの目を気にしてしまう習慣

・自己反省を深くこころみずに反応でしてしまう習慣

こんなのがでてくる。

つまり、私が私を無視、ムゲにする悪い癖が、ふと出てしまう・・。

 

だから、ああゆう人は、私の弱みをついてくる。

わざと周りを味方にしているように、お昼ごはんとかでも、

私だけに声をかけないで、外に食べにいってみたり、そういうことをする。

言葉の端々で、冗談を言っている風に、でも人を貶めることを平気でする。

こころがわざとざわざわするように、人のスキをついてくる。

 

 

周りの目を気にする前に、自分のこころにフォーカスして、

自分の不愉快さを丁寧に受け止める。自分をしっかり受け止める。

 

私はこれ、超不愉快で、むかつく。

私のその感覚が一番正しい。その感覚が真実。

 

 

で、私、こういう不愉快な気分でいたくない!!!!!!!!!

 

よし、わかったよ、わたし。

 

そうだね、こんな不愉快な気分でいたくわないよね!!

 

こんな感じで、いちいち、自分のこころで会話する。

 

本当に感じていること、本当にどういう気分か、本当に?本当に?

しつこいくらい、それは本当に自分から湧き出てくる気分に対して問答する。

 

 

私は私を大事にする。

 

私は私を満足させるように、私から湧き出てくる感情、気分を受け止めて、

 

私をお姫様のように接待する。

 

私をおもてなし、する。

 

 

 

正しい生き方 得な生き方

子供のころは、正しい生き方に憧れた。

正義のみかた、サンタクロース、

ひとから賞賛されるかっこいいヒーロー、そんなのに憧れた。

ナイチンゲールのように、ひとに尽くす天使のような女性、そんなのに憧れた。

お姫様にも憧れた。

お姫様とかそういうのは、正しい生き方をすればなれるって絵本に書いてあって、

だから、正しい生き方をしようと思った。

 

 

思春期くらいから、スクールカーストを肌で味わい、受験戦争にも巻き込まれると、

得な生き方が一番合理的なんだ、と思うようになった。

 

子供のときのように、正しい生き方をしても、自分の望みの姿にはなれないじゃないか。結局はおとぎばなしだったんじゃないか。

 

みんながいいと言われるものを目指すようになると、

そのための合理性を追い求めるのが一番合理的(笑)と思うようになった。

また、合理性は一般社会には汎用性があるものだと、感心することが多くなった。

合理性は汎用性があると思うようになると、そういう経験を重ねることが増え、

経験値から、合理性は絶対となっていった。

 

合理性のプリンシプルは、言ってしまえば、

得か損か。

 

今度は、得か損か、それを絶対的な指針として生きていくようになった。

 

 

 

 

 

そうして、自分が何を感じているのか、まったくわからなくなっていった。

 

 

 

正しい生き方がいけないのではなくて。

得な生き方がいけないのではなくて。

 

 

 

私自身を無視した生き方に、なんの正義があって、なんの合理性があったのか。

 

 

私は、私自身が感じて、私自身から欲するしたい正しい生き方をし、

私自身が感じて、私自身から欲する合理的なやりかたを選択し、

私自身に問うて、私自身を生きる、感じる、

 

 

それが、生きるということでなかったか。