青い鳥 ブログ 

のーぷらんブログです  

内在する(内に潜在する)志

自分の内に潜在する志⇒自分の内に最初からあるやりたいこと、希望みたいなもの、

自然にこうしよう、と思ってしまうものがあるのではないか。

それは、後からつくられるもの(他者からこれはいいから、これは合理的だから、これはすばらしいと学習するもの)ではなく。

自分の内から自然に出てくるもので。

後からつくられたもの(それは社会でみんなとやっていくための必要なルールでもあるので大切なものも多いけれど)のブロックを除いていくと、自然に湧き上がるこころで。

それを志(こころざし)と解釈してみようと思った。

 

小学校で志(こころざし)は、世の中のためになる素晴らしい意識を自分で固めて作りだしていくもの、のようなイメージをもたされ、他者他人のために自分を尽くしていく目標を志としていたけれど。

そんな、他者から植えつけられて、自己犠牲を強いられるような目標が続くわけなく(当たり前だわ)、また続かないことで他社から責められて、自己嫌悪におちいるという悪循環・・。

 

志という言葉が大嫌いだったけれど、自分の内なる希望(したいこと)なのであれば、叶うために自分は動くはずであるし(確かに)、それを叶えるための自然なしるし(兆し)も自然に読めるようになるはずだな・・。

 

昔、三国志を読んでいたときか?うる覚えだったけれど【潜龍】という言葉があって(確か、諸葛孔明のところ?かな?)なんかかっこいいし、頭に引っかかる言葉だなと思ってたけど。

今朝、突然、易経の本が読みたくなって、キンドルで探して頼んでみたら、面白い本に出会った。読んで、勝手に自己流解釈w

 

【潜龍】は苦しい下積みのとき。

誰にも見向きもされない、相手にされてない不遇のとき。

周りで活躍をしている人をみると焦って、もっと前へ出ていこうと努力してしまう。

でも努力は内面に向けるべき。(自分の内の志の解放へのブロックはずし)

うまくいかないのは、単純に、まだ時がきていないから。

決して動じることのない自分の本来の内在する志に気付くための期間であり、気づけば次のステップに自然と運べる。

 

自分の本来の内在する志に気づけば、評価をされなくても、理不尽な目にあっても、気にならず、自分のこころが動くままに意を決して動くことができる。

自分のこころの動くままに行動ができるので、不平不満や愚痴も自然に少なくなっていく。(周りに対して合わせていう愚痴くらいしか言葉としてでない)

 

「不平不満をいうのをやめよう、他人を気にせず自分の打立てた志を堅固にかためて、意志強く努力と精進をしていれば、自分の打立てた志が叶う」

これは、うそではないかもしれないけど、前提が間違っていたら、負のスパイラルに落ち込むだけでは?と思う。

自分の打立てた志=目標⇒他者からのうけいれのもの、よいと言われるもの、合理的といわれるもの、それであれば、かならず、燃焼が尽きてしまう。

そうすると、自分のものすごい努力意志力にみあった評価はされない。(他者からの受け入れの志なので、他者からの評価が重要!)

                  ↓

不平・不満がでてくる。愚痴もいいたくなる。やさぐれてくる。

                  ↓

不平・不満をいい、愚痴をいい、やさぐれる自分が嫌になる。

                  ↓

続かない。堅固にかためた目標だったのに、崩れてくる

                  ↓

           意志弱い。自己嫌悪。

 

【潜龍】のときは、自分の内在する意志に注目して、それに気付くこと。

それのみを行動すべきであり。

「確乎としてそれを抜くべからざるは、潜龍なり」

だから、決して、世間も当用してはならない。・・昔の人の智慧はすごい。

 

また、世間から不遇とみられる【潜龍】のとき、自分は不遇と感じない。

なぜなら自分は自分の内在する志に気づくため行動をしているから。

その行動自体、他者からのものでなく、自分自身の内から出てくる行動であるから、自分自身を生きるための行動であるから。

 

 

 

自分で思うままあげつらって書いたけれど。

今朝、ものすごい頭痛が起こって朝からのスケジュールがすべてキャンセル。

今、これを書いているとき、頭痛は全くおこっていないから(笑)

多分、自分にとっては正解の解釈なんだと思う。