青い鳥 ブログ 

のーぷらんブログです  

不惑

私はまだ、自分の人生を少し振りかえってみる。

30にして立つ。

例の件でやっと、私は30代で立てた。

今は不惑の40代。

 

40代は最初から会社も部署異動等、精神的にも環境も惑う年代なのかもしれない。

だからこそ、孔子様でさえ、40は不惑といったのかとも思う。

 

 

40代は、突っ走る30代と違って少し余裕ができてくるせいか、かえって、やたらと周りが見えて、周りが気になることが多々ある。

体力もガタンと落ちてきて、病気にもなりがちになり、容色の衰えも目立って激しくなる。

おっぱいもたれるし、お腹に肉がつきはじめる。

太ももとおしりの区別もつかなくなるほど、おしりもたぷたぷになる。

目じりのしわもふえ、シミがくっきりとなる。

いい感じで視力が落ちてくるので、普段は気にしなくてもよいが、

メガネをはめるとガッツリわかる。

更年期にも入ってくるからか、ホルモンのせいなのかわからないけれど、

確かに、気持ちのブレが激しくなる。

少し、思春期的な感じというか・・・。

 

スクールカーストと社内カーストを比較して考えてしまうのも、40代ならではの発想なのかもしれない。

 

不惑の40.

 

惑わない、自分軸をもてる40代を過ごせたなら・・どんなにいいだろう。

 

自分の中に芯をみつけて、自分軸で、ブレない自分で生きていけたらどんなにいいだろう。

 

仲間外れのような行為をされても、あてつけのようなことをされても、自分だけ除外にされても、相手をなんとも思わず、相手をなんとも感じず、自分を卑下することもなく、相手を無視することもなく、相手に怒ることもなく。

相手に反応することなく。

それとは別に、自分に反応する。ただ、自分が思うことに反応するだけ。

ひとつひとつ、自分が思うことを選択して反応するだけ。

 

ただ、自分の考えたいことを考えて、自分の過ごしたい時間のままにすごす。

 

何かされる⇒自分は哀しい、怒りを感じる⇒私はつらい⇒そりゃそうだよね、哀しいし、腹が立つし、そしてつらいよな⇒どうしたら、このつらさがおさまるか⇒自分はどうしたい?⇒必ず回答される⇒その回答は私が選択したんだと再度きっちり自分にいう⇒自分が選択した、この行為そのものが自分で選んだもの、自分の人生の選択=自分

 

例えば、今回のできごと

前日になって突然明日旅行だよと言われた。

いまさら、言われても。私だけ旅行を知らず、前日に言うという行為。あてつけにしかみえないイジメ。

⇒自分は哀しい。怒りを感じる。私はつらい。そりゃそうだ。当たり前。

腹も立つし、見下され感が半端なく、つらい。

⇒自分はどうしたい?

この人たちとは距離を置こう。こんな旅行は当然行かない。

⇒私は、この人たちとは距離を置く。私は無意味に傷をつけられたくない。私は友人とは楽しい穏やかな時間が過ごしたい。打ち解けた安心した楽しい時間が過ごしたいのであって、見下されたり自分が卑屈になるような時間を過ごしたいわけではない。

私が、この人たちとは距離を置く決心をした。私は自分を大切にする決心をした。

私は自分が一番大事だ。私は楽しい充たされた時間を過ごす。

例えば、こんな時間だ。したいなら、こんな楽しい旅行だ。解放された打ち解けた時間はどんなに楽しいだろう。新しい発見があって、新しいものを見て、わくわくする旅は本当にすばらしい。私が望む旅行とこの人たちが望む旅行には相違があるから、一緒にはいけなかった。一緒に行っても楽しめなかった。私は私が望む旅行をしたいから、行かない。

私は、自分が望む、解放されて、また新しい発見のある旅を、こころから打ち解けた時間をすごす旅を楽しめることになるだろう。

自分の近くである話は、もうすぐ私に起こるであろう前兆。

私は自分の望む、解放されて、また新しい発見のある旅をもうすぐすることになる。

やった~~。わくわくするぞ。

 

 

このくらい変換して考えていいと思うwすこしオーバー目にかいたけれどw