自分の弱みをさらけ出す
自己信頼。
自信ってつけていくものでなくて、もともと本当はあったのに、すこしずつ、失ってきたものかもしれないと思うようになった。
私はこうならなければ。ああならなければ。
そういう努力をするたびに、何か自信がなくなってきていて、
なにか自分がはりぼてになっていく気がしていた。
腑に落ちて、すーーと理解したこととは、まるで異なる。
自分が隠しておきたかった恥、弱さ。悪癖。
これらをさらけ出しても、だれかから馬鹿にされて見下されても、
もしもゆるぎない自己信頼があったら・・・・。
私は。
本当の意味で、なりたかった本当の強さを身に着けることができるのかもしれない・・。
私が隠しておきたかったこと。
実は本当に周りが気になっていたこと。
誘われなかったり、声をかけられなかったり、存在を無視されたり。
ものすごく辛くていやだった。
だから自分から殻をつくって、自分が周りを受け入れていないのだと、勝手に恰好つけてた。
痛いと思われるだろうけど・・・それが、プライドみたいなものだった。
エラがはった顔が嫌いだった。
だから、わざとエラを隠す髪型にしかしなかった。
脚が太くて、昔教授に馬鹿にされたことが忘れられない。お前の脚は害だと言われた。
ブスだから、でも小学校ではおちゃらけてて人気があったから、勘違いして。
高学年になるとみんな少しずつ変わってきていて、おふざけの女の子と、可愛い女の子は完全に別扱いにされていたのに・・。それにまったく気づかず、可愛い女の子と一緒に一緒にクリスマス会にいったら、ブスのお前には用はない、帰れと言われた。
ブスでデブのお前は臭いと言われた。(決して臭くなかった)
筆箱に虫の死骸を入れられた。
びっくりして、授業中声をだした。きゃあって。
そうしたら、先生がうるさいとなぐった。
頭にきて、あの子が私の筆箱に死骸をいれたと文句を言ったら、先生が、「おまえにはふさわしい。」と笑った。
後、馬鹿な男子が、可愛い女の子の筆箱と私の筆箱を間違えて、また虫の死骸を入れた。可愛い女の子が、同じように授業中、さけんだ。そうしたら、先生やみんなが同情し、入れた男子はまっさきに謝った。
数時間後、まったく同じできごとが起こって、先生から、クラスの子から、まったく正反対の反応だったのだ。
私は、「自分がブスで、自分が悪いからだ」としか思えなかった。
その後、私は、虫の死骸をみても、黙って素手でつかんで、静かにゴミ箱に捨てるようになった。
ゴキブリでも。
それをみたクラスの子たちは、強い女、冷徹な女とまたひやかした。
小学校の5年生ごろから、中学、高校、浪人、大学は黒歴史でしかない。
(大学はそれでもまだマシな方だった)
高校が最高に黒歴史。ブス、ブス、ブスでもう自尊心もなにもかもずたずただった。
中学はそれでも部活が救いなところがあった。また、勉強ができたので、私自身もヤンキーたちを少し侮蔑していた。
高校は本当に最高の黒歴史。見下され感もハンパなくひどかった。また、私も、クラスの上位カーストにひざまずき、文句も言わず、卑屈に言うことを聞いていた。
上位カーストの子と卑屈に友達になり(利用されていた関係に過ぎない)でも所属グループは最下位なので、最下位内で、いわゆる底辺争いもしていた。ショウもないことで、底辺内で出し抜きしたり、ときどき、上位層の子の命令を聞いて、同じグループの最下位の女の子をスケープゴートに差出したりした。(私も当然、何度も差し出された)
だから、中学、高校には、友達はいない。
すっかり全員、連絡は切った。
会おうとも思わない。なつかしさもない。
地元で好き勝手なうわさを立てられたりもしたらしいが、そんなのは知らない。
この歳になって、同じ年代の人たちと語り合いたいとは思うが、
決して、中学、高校の人間に会いたい、話したい、語り合いたいとは思わない。
心が狭量と言われても、言いたいなら、どうぞ、としか。
イジメに常時あって、見下され馬鹿にされを常時行われていて、人間としての尊厳などまったくない扱いを受けたひとしかわからない気持ちだ。
その経験があるから、今の私があるなんて言えるのは、そこまでの経験をしていないひとの言だ。
二度と経験なんかしたくない。
歳をとってきたからか、
「人生をやり直すとしたら、何歳がいい?」
なんて、質問がくることがあるが、私はそれに対しては、別に人生やり直ししたくない、とだけ。
同じ目になんかあいたくないから、ね。
私は、可愛い、愛され人生を送る女の子になってみたかった。
それで、大学デビューした。
でも、つかの間の大学デビュー。
みにくいあひるの子は、あれはもともと白鳥だったから、美しくなっただけで。
私は、醜くうまれたただのあひるの子。
お面をかぶるのに必死になった。
ダイエットも必死でして、拒食、過食も繰り返すようになった。
20代の前半は過食症で苦しんだ。学校に行けなくなり、中退した。
それをごまかすように、結婚。
子供を産むまでの20代前半、毎日、旦那が会社に行っている間、食べて食べて吐きまくった。大学で貯金していたお金が底をつきはじめると、飲食店でバイトして、残り物をたくさんもらって、家に持って帰り、食べて吐いた。
旦那は、お嬢の私のバック(実家のお金とある程度の社会的位置)が気に入って結婚しただけというのが、今ならよくわかるのだけどw
こんなに毎日食べて吐いて、がりがりにやせて、なーーんにも、気にしていなかった。
きちんと夕食が5品以上用意されていて、お風呂がわいていて、家がきれいに片付いていて、夜自分好みの営みさえ奉仕すればよかったのだ。
(よくよく考えたら、それについても、公言するほどひどい人間だった)
それでも、私は、このひとくらいしか、私と結婚してくれる人はこの世には存在しないし、このひとは私を救ってくれたと思っていた。まさに、信者のように。
だから、本当にひどい扱いだった・・。
給料も渡してくれない。毎月、お願いをしないとくれなかった。
子供が2人できても、家の光熱費から旦那の奨学金の支払い、車のローン、生活費すべてコミコミで8万円しかくれなかった。おむつ代を稼ぐために、土日バイトを2件、平日は朝4時から3時間バイト1件で、計3件、トリプル掛け持ちをしながら、年子の男子2人を育てた・・。当然、育児の手伝いはしてくれなかったので、土日も夜中と早朝中心。
長男が3歳なるころ、年子の男の子の動きにあわせて完全に生活するようになったためか、過食症はおさまっていった。
さすがに、公園デビューになり、物理的に過食症の時間がとれなくなってきたということもある。
・・けれど・・。今思うと、本当に・・寝ないで、かつ食べ吐きで栄養もとらないで、よくこんな生活してきたな、と思う・・。
公園デビューから幼稚園、小学校前半は、今度は、ママカーストに悩まされることになった。
カースト自体は、スクールカーストと本質的な違いはあまりなかった。
ママカーストは、旦那の収入&旦那がイクメンかなども関連してくることになる。
救いは、逃げ場があったこと。
私は年子の男児2人のため、一人っ子のようにわざわざ、他のだれかと遊ばなくても、自分のうちの兄弟だけで遊ぶので、あまり気を使う必要がなかったのだ。
あと、ときどきやっていたバイト。
でも、バイトの中でもカーストはあり、私はどこに行っても、カースト最下位のままなので、このバイトでも自分の卑屈さがいやしいほどダダ漏れで。
年下の大学生にいいように扱われてたよ。
まだ20代後半で若かったのに、BBA、BBAと言われ(同じ歳のバイトの人達はたくさんいたのに、他のひとはそんな言われ方しなかったなあ)無駄にコンプレックスをもってしまったよ。私はそんなにばばあ顔なのか、と。
また、源典侍(げんのないしのすけ)という女房に似てると言われ、何のことか調べたら、光源氏にでてくる好色の60歳のおばあさんの話で。
びっくりしたよ。私その時、まだ30歳にもなっていない頃で。しかも、なんで好色??
どちらかのバイトの方とうわさになったことも、まったくないのに。
チーーーーーーン、となったなあ。
ババア、ババアと最下位に置く割には、動物的には性的対象になりうる、けれど、性的対象になりうることをまともには喜んでんじゃねーよと、それはババアの好色につきあっているだけだからだよーーーという内なる声がしたようでね。
本当に、チーーーンって感じだったなあ。
そのとき、昔、ヤンキー男子が、「お前の顔をタオルでまいてなら、やってやる」、とわざわざ人を傷つけるためにだけに用意されたようなセリフを吐かれたことがあったけど(ちなみに、数人でいるとき言われたので、傷つき方は若干薄まってはいるw)それを思い出したよ。
このヤンキーは本当にあほだったから何とも思わなかったけど。
このとき言われた大学生には、いろいろな相談も受けていたし、自分も割と心を開いていたと思っていたので、本当に傷ついたなあ・・。
本当に、人間関係でいい思い出がないなあ、と今更ながら、笑ってしまった。
なぜ、今こんなことをブログでさらしているのかと言うと。
今書いていることは、本当に今まで隠しておいたことだから。
わかるひとはわかっていて、イタイ女だなと思われていたのかもしれないけれど・・。
私個人としては、こんな経験は隠しおおせていて、私は普通に楽しい人間関係も過ごしていて、友人のいる、リア充までとは言わなくても、何かツウの友達がたくさんいるし、人間関係が幅広いんだ、と、だから今の人間関係に疑問をもっているんだと(いや、本当はいつものパターンなんだけどね)
なんか、そんな見栄みたいなの、張っていて。
そんな空想な前提をつくった自分を演じていて。(本当にイタイんだけど)
なんだか、そういう虚勢張ってんの、本当にバカバカしくなってしまって。
今の人間関係にシャッター下すのはいいとして。
そのシャッターを虚勢で塗り固めても(結局は自分の中でね)仕方ないんじゃないかって。
私、本当に、人間関係でいい思いしていないんだから。
私、本当に、リア充系友達はいないから。
私、今まで相談してきたのって、本しかないですから。
自分にうそついて虚勢はっても、しょーがないよね(笑)
なーーんで、いままで、必死こいて、誰をだまそうとしてたんだろ(笑)
もう。叫んじゃう。
私はいままで、人間関係でいい思いしたことないよーーーー。
友達なんか、いないよーーーーーーー。
いわゆるひとと一緒にいて、楽しいとか、ゆったりとか、穏やかな思いなんかしたことないよーーーーーー。
(全然じゃないかな、言い切ってしまうには、ちょっと・・だけど)
つまり、私はコミュ障だよーーーーーー。
でも、人間関係にいい思いあまりしてきてないんだから、しょーがないわな。
私は、人付き合いは、ダメだから。
私は、付き合いべただから。
私は、人付き合いには期待しないよーーーーーー。
私はそういう感じだったから、だからひとりが好き。
だから、社会へ。私に勝手に、寂しさとか押し付けないでね。
寂しさとかを超えるような、人付き合いがしたい~~~って経験がないから、
そんなのわからんわ。
カーストの上位を支えるために、カースト最下位者が必要、つまり私のような付き合いべたが必要なんでしょうけど。
だから、「ひとりは寂しい」「ひとりはむなしい」「グループ外れたらつらい」とかそんなことを常識として植え付けようとするんだろうけど。
それ、いらんわ。