青い鳥 ブログ 

のーぷらんブログです  

正しい生き方 得な生き方

子供のころは、正しい生き方に憧れた。

正義のみかた、サンタクロース、

ひとから賞賛されるかっこいいヒーロー、そんなのに憧れた。

ナイチンゲールのように、ひとに尽くす天使のような女性、そんなのに憧れた。

お姫様にも憧れた。

お姫様とかそういうのは、正しい生き方をすればなれるって絵本に書いてあって、

だから、正しい生き方をしようと思った。

 

 

思春期くらいから、スクールカーストを肌で味わい、受験戦争にも巻き込まれると、

得な生き方が一番合理的なんだ、と思うようになった。

 

子供のときのように、正しい生き方をしても、自分の望みの姿にはなれないじゃないか。結局はおとぎばなしだったんじゃないか。

 

みんながいいと言われるものを目指すようになると、

そのための合理性を追い求めるのが一番合理的(笑)と思うようになった。

また、合理性は一般社会には汎用性があるものだと、感心することが多くなった。

合理性は汎用性があると思うようになると、そういう経験を重ねることが増え、

経験値から、合理性は絶対となっていった。

 

合理性のプリンシプルは、言ってしまえば、

得か損か。

 

今度は、得か損か、それを絶対的な指針として生きていくようになった。

 

 

 

 

 

そうして、自分が何を感じているのか、まったくわからなくなっていった。

 

 

 

正しい生き方がいけないのではなくて。

得な生き方がいけないのではなくて。

 

 

 

私自身を無視した生き方に、なんの正義があって、なんの合理性があったのか。

 

 

私は、私自身が感じて、私自身から欲するしたい正しい生き方をし、

私自身が感じて、私自身から欲する合理的なやりかたを選択し、

私自身に問うて、私自身を生きる、感じる、

 

 

それが、生きるということでなかったか。